2015 年末旅行☆カンボジア(プノンペン)☆n 二日目
日目です。
昨日がめっちゃ動き、起きてる時間が長かったので、二日目朝はゆーーっくりと目覚めました
ベッドもいい感じなので睡眠がとても心地よく、二度寝でも三度寝でもできちゃう感じが本当、贅沢気分を感じさせてくれますね、はい
起きてすぐ楽しみなのは、朝食ー
ここの宿は8種類くらいの中から一つをチョイスする形式で、コーヒーを除けばおいしかったので、満足度は高いです
さて二日目観光は
元旦早々、めでたい日なのですが、
ちょっぴりどころか大分気分は沈んでしまう場所へ(_ _。)
そう、カンボジアといえば2つの有名な観光名所の一つでもあります
トゥースレーン
(入館料1人3ドルでした
案内ヘッドフォンもありそちらも希望すると+3ドル 日本語はありませんが英語はあります)
まだたったの約30年前のポルポト政権時代に行われた大量殺戮。
その際の尋問、拷問が行われた場所が此処です。
元小学校だった敷地を使用してます。
外壁には針の鉄線が張られ何とも外からも重々しい雰囲気を漂わせています。館内はパネル展示や当時、実際に拷問時に使用されていたモノたちが、展示されています。
終始、悲しさと哀れみと恐れを感じながら見て歩きました(ノ_-。)
最後に亡くなられた方たちへお線香を備えて後にしました。
館内を出ると、驚いたことに、ポルポト政権時代を生き抜いた方、ご本人がいらっしゃるではないですか
生存者がいるのは全く知らなかったので、只々驚きました。
その方は本を出されていて、その前で外国人の観光客が一緒に写真を撮影してはったので何となくわかりました。
付き添いの女性の方も横にいらっしゃってお手伝いをされてました。
生存者のそのお方は察するに75歳以上、80歳くらいかなと思えるお年で、とすると当時50歳くらいだったのでしょう。
いろいろお話したい気持ちはありますが、英語をお話にならないのでそれは難しく。
でも一緒に記念撮影を取りました。
ポルポト政権時代のその渦中を経験された方で当時の状況を知り得てるのは恐らくこの生存者くらいだと思うと、
大変希少な存在だし、この時代のことを現代、未来へ忘れることなく伝えて言ってほしいと思いました。
その意味もあり勿論、本を出版されているのだと思います。
私達も購入しました。
日本語はないので少しづつ英和辞書を引きながら頑張って読破するつもりです
いろいろな感情を抱き少し疲れたので、ここから少し離れた所にあったカフェで休憩することに。
あついだけ・・・・・・
歩き疲れるとビールを欲する。
一旦またのもうかぁ、と宿近くのところで飲む。
私はなんだかすごく睡魔がきて、
座り心地のいい椅子だったので本気寝をしてしまいました
心地よかったなー
でなんだかんだ夕方なので部屋に戻りシャワーを浴び、ちょい休憩をし、夕食へ
二日目夕食は宿の周りをぶらぶらしてみっけたレストラン🍴
外観が素敵だったので入ってみることに・・・・・
するとカンボジアではそこそこ高級店に入る感じのお店で別室ではニューイヤーパーティなるものをしており、子供達がはしゃいでいました
早速ビールを
ここは小瓶できてグラスで飲んだんだけど、グラスがかわいい
ほら。
で、嬉しいことにキャップの裏に当たりマークがあるらしく、
なんと二人共当たるという奇跡((((((ノ゚?゚)ノ
一本サービスらしい。
店員さんもびっくり
期待した、二本目は残念ながら当たらず。
でもこれ、オチがあった
期限があり
去年の忘れたけど、9月とかまでまでだったらしい。
がーーーん
だったら、店員さん、そんな喜ばないでほしかった。
つられて期待しちゃうじゃないの。
ね
ご飯はこちら。
エビおいしかったー。
魚も食べ応え十分で、味もおいしくお腹いっぱいになっちゃいましたー。
そして、夜はタイ、バンコクにもある
WOODBALLのプノンペン店に行こうとなり、トゥクトゥクにのって行ったんだけど、残念ながら元旦だったからかな?
クロウズしてましたー残念
明日に再度行ってみようとなり、仕方なく宿近くで飲み直し、二日目終了